Living in Hokuto-City, Yamanashi

こうして、私の夏休みが終わろうとしています。ここ北杜市小淵沢で7月の下旬から9月の今日まで50日間の滞在でした。陽射しの強い真夏から初秋の季節まで十分に楽しむことが出来ました。残念なことの一つに、雨が多かったこと。このことで、星空散策は殆どできませんでした。記憶では、一夜だけ晴天に恵まれて星座写真を撮影できた。50日分の1ですから確率としてはかなり低いことになります。もちろん月齢のことも計算してのことですが。それでも、きれいな星空をカメラに収めることが出来ましたので満足しています。

今日は私だけの「天空のレストラン」を紹介しましょう。まずは、位置から。小淵沢から北に向かい赤岳に向かって登りつめます。途中で観音平を目指す道に入ります。道はくねっていますので注意が必要です。上り詰めれば、そこが観音平展望台です。展望台には東屋が2棟あります。そこが「天空のレストラン」です。目の前に南アルプスの山々を見ながら、眼下には小淵沢の町並みから白州町まで見渡すことが出来ます。天気の良い日には富士山も見えます。レストランでは、何一つサービスがありませんのでご自分でご用意ください。私が、今日用意したのは、サンドイッチと塩パンとヨーグルト。それと、テルモスの水です。あ、あと音楽は、いつものハワイアンです。自宅から20分もあれば来れるレストランですが、最高の時を過ごすことが出来ます。

今日の目的はお昼を観音平で食べる。そう決めて麓からくねくね道を登りつめやってきました。頂上からの眺めは最高で、南アルプスを背景に甲斐駒ヶ岳、北岳が見えています。眼下には、富士見町から白州のサントリー工場まで見渡すことが出来ます。当初の目的とは異なり岩場の奥に「ひかりゴケ」を発見しワクワクしました。綺麗に光っていました。また、観音平から2.2km下には「三味線滝」があるはずなのですが、行ってみると水が枯渇していて見ることが出来ませんでした。残念でした。高原植物に出会いながら歩く道は新鮮で肺の中に入り込む空気さえ爽やかに思えました。

清里に向かい途中、南下していくと「道の駅南きよさと」にぶつかります。何度となく通った道だがいつも、眼下に見えるただの「道の駅」でした。人間、調べることが大事。そうなんです、ここからモノレールで一気に「南八ヶ岳花の森公園」に登れるのです。なんと、東京ドーム1.5倍の面積がある花の公園なのです。

白樺湖は標高1416メートルの高原にある人造湖です。昭和の初期までは池ノ平と呼ばれる草原湿地帯でした。池ノ平を経由し流れる音無川は水田を潤す貴重な農耕用水でした。山から流れ落ちる水は透明でした。問題は、水温が平均8度ということもあり水田で穂をつけるには25度以上の温度が稲には必要でした。毎年、水田面積の三分の一が収穫不能になっていました。音無川をせき止め池ノ平を温水用の溜池にするという計画が始まったのが昭和15年、国庫補助による県営工事が始まりました。着工後まもなく日本は第二次世界大戦に参戦し作業員の確保が難しくなりました。県から工事中止が通達されるのですが、地元の人々は諦めず区有財産である山林の木々を売りつくし県に代わって工事を続行しました。

今年も見事にひまわりが咲き誇っています。ハイブリッドサンフラワーがちょうど見頃を迎えています。先日のブログでもお伝えしましたように情報キャッチして出かけました。ひまわりは南アルプスの山々を背景に太陽の方向を向いていました。昨年の夏、同じところから眺めたときには緑色の畑でした。今日、訪問し一面のひまわりを見ることが出来、嬉しく思っています。会場は3年ぶりのサンフラワーフェスが開催され多くの観光客で賑わっていました。

冬の山々に出かける機会はあったが、高山植物にあまり出会うことがありませんでした。いま、この夏をむかえて、あらゆるところが色づき始めていることに気づかされています。

今年の夏も、7月後半からここ小淵沢で過ごしています。ここ数日の平均気温が23度くらいでしょうか。東京の気温に比べると湿度もなく過ごしやすいです。ここ数日、天候が安定せず、夕方になると雷雲ともに大粒の雨が降ってきます。道も冠水するほど降り続き一瞬で雲間から青空が見えてくる、そんな天気が続いています。

四季折々、いろいろな光景をみせてくれる神秘的な溜池です。高原で農業を営む人々にとって水は重要な役割を果たし、酸度の高い水を希薄するために昭和8年にこの溜池が作られそうです。

「海岸寺」は、八ヶ岳の南、海抜1,000mの津金山の南斜面にある、妙心寺派臨済宗のお寺です。行基菩薩が千二百六十年前にここに庵をかまえたのが海岸寺の始まりとされています。行基は観音堂に千手千願観音を彫り海岸寺に祀ったとされています。天平9年(737年)には聖武天皇から「光明殿」の勅額を賜ったと伝えられています。境内には、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の各札所の観音像などを移した石仏が祀られています。また長野県高遠の石仏師・守屋貞治(1765~1832年)が桃渓和尚の依頼を受けて8年費やして彫った百体観音が安置され、永い年月の中で苔の衣をまとった仏たちが、訪れる人々の心を和ませてくれます。