津金学校
<津金学校> 明治8年10月21日に完成した「藤村式建物」です。西洋建築に強い憧れを抱きつつ、日本の大工技術で建てられた「擬洋風建物」の一つです。当時の山梨県令(知事)であった藤村紫朗氏にちなんで名付けられました。明治時代に建てられた旧津金学校は明治校舎とも呼ばれます。旧津金学校は、明治6年開校以来続いた地域の学校でした。明治期・大正期・昭和期(中学校)に渡って三世代の校舎が並んで建てられました。旧津金学校は、昭和60年[ 1985 ]...
<津金学校> 明治8年10月21日に完成した「藤村式建物」です。西洋建築に強い憧れを抱きつつ、日本の大工技術で建てられた「擬洋風建物」の一つです。当時の山梨県令(知事)であった藤村紫朗氏にちなんで名付けられました。明治時代に建てられた旧津金学校は明治校舎とも呼ばれます。旧津金学校は、明治6年開校以来続いた地域の学校でした。明治期・大正期・昭和期(中学校)に渡って三世代の校舎が並んで建てられました。旧津金学校は、昭和60年[ 1985 ]...
「海岸寺」は、八ヶ岳の南、海抜1,000mの津金山の南斜面にある、妙心寺派臨済宗のお寺です。行基菩薩が千二百六十年前にここに庵をかまえたのが海岸寺の始まりとされています。行基は観音堂に千手千願観音を彫り海岸寺に祀ったとされています。天平9年(737年)には聖武天皇から「光明殿」の勅額を賜ったと伝えられています。境内には、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の各札所の観音像などを移した石仏が祀られています。また長野県高遠の石仏師・守屋貞治(1765~1832年)が桃渓和尚の依頼を受けて8年費やして彫った百体観音が安置され、永い年月の中で苔の衣をまとった仏たちが、訪れる人々の心を和ませてくれます。
金生遺跡は、八ヶ岳の南麓のほぼ中央部にある、標高770m付近の尾根上に位置しています。およそ2haの範囲に広がる、縄文時代(後・晩期中心)のムラの跡と中世(戦国時代)の城館跡の一部です。国指定の史跡として高い価値をもつこの遺跡は、縄文時代の後期から晩期にかけて祭祀を行った場所とされています。いくつもの石棺墓を中心にして構成される石造りの祭祀場が特徴で、昭和58年2月7日に国史跡に指定されました。金生遺跡の晩期の住居跡は竪穴がない構造で、土壁構造の住居が復元されています。この遺跡からかいま見られる縄文人の生活は、清らかな水と、木々の豊かな実り、多くの動物と人との共栄など自然の宝庫であったことに間違いないと思われます。また八ヶ岳山麓には存在しない花崗岩などの出土から、遠方との交流もあったと...
谷戸城趾は、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の孫、黒源太清光の居城であり、別名茶臼山または逸見城と言われます。春には山全体に約400本のソメイヨシノや八重桜が時期をずらして咲き誇り、見事な景観に圧倒されます。外苑を回る遊歩道があり、木々の間から見る八ヶ岳や富士山、甲斐駒ヶ岳のパノラマが絶景です。平成5年、国指定史跡となり、史跡整備が進められ、郭や土塁などが昔のように復元されるなど、在りし日の姿がよみがえりつつあります。
Yado CastleRuin
Yado Castle is the residence of Kurogenta Kiyomitsu, the grandson of Shinra Saburo Yoshimitsu, the founder of the Kai Genji...
今では、北杜市役所学術課のホームページでさえ更新されず資料を探すのが難しくなっています。笹尾塁跡は武田信虎が築城した中世城館跡とのことです。場所は、釜無川左岸七里岩の急崖上にあり、釜無川に注ぐ深い侵食谷のため自然の要害に恵まれたところにあります。本塁跡は、東西80m、南北260mほどの規模とみられます。歴史上に登場するのは、武田・諏訪両氏の対立に永禄4年1月22日に、この笹尾砦が使われたと伝えられています。ここまで、小淵沢駅からはかなり道のりが厳しいです。城山(じょうやま)探したのですがみつからざず帰路に向かいました。
創建年月不詳なるも文献によれば今より約千百年前六十代醍醐天皇の御代延喜二年と推定される。初め建御名方命を祀り、天正三年八獄の神霊を合祀して八獄神社と称す。文化年間及慶長八年の文献によれば黒印神領五斗四升、社地四千八百坪を賜る。明治十年飛火のため類焼したが其の後再建現在の拝殿である。(山梨県神社庁より引用)
雨降り連続三日目。毎日、丁寧に「大雨特別警報」をお知らせをいただき感謝しております。いつもの8月に比べても雨が多い様子です。今日も、傘を持ってお出かけしました。今日、向かったのは「北野天神社」です。家からは5分という近所です。なんとなく名前は聞いていたのですが、足を運んだことがありませんでした。こちらの情報も、山梨県神社庁のホームページに説明がありました。説明をまとめると、915年、字天神森に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀り「郷社壱之宮」が設立されたことに、由来しているようです。それ以前より、菅原道真没後世の中が荒れたことで日本各地で道真公を祀る天神社ができてきており、郷社壱之宮もその流れで天神社としてあったものとされます。その後、西暦987年(永延元年)、京都北野天満宮から正式...
八ヶ岳南麓の自然豊かな清緑の地(山梨県北杜市小淵沢)に鎮座する天照大神を祀る神社。いのちのよみがえり―みそぎを伝えています。建物は、唯一神明造りの建物です。特徴は、左右に一本づつ地面から屋根までまっすぐにのびている柱があります。この二本の柱を棟持ち柱と呼び、この二本の柱で、棟、建物全体を支えています。この神社は、身曾岐神社と言います。書く上では、漢字を使っていますが、漢字は当て字です。漢字の意味はありません。音だけ使っています。「みそぎ」は、多くの方が、水のあるところ、例えば、川とか、海とか、滝とか、そのようなところで、水を浴びて身を清めることだと捉えておられます。それは、決して誤りではないのですが、「みそぎ」をもっと簡単に、ひと言で言い表すならば、「みそぎ」とは「きれいになる」ことで...
今日は、朝から大滝神社に行ってみようと決心していました。名水百選にも選ばれた湧水なのでぜひ見ておこうと思ったのです。崇神天皇10年、大滝神社は、武渟川別命(たけぬかわわけのみこと)がこの地を訪れた際に、清水の湧出を「農業のもと、国民の生命、肇国の基礎」と称賛したのが始まりでした。神仏習合時代には滝権現、大滝権現と称していましたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈で大滝社と改め、さらに大滝神社に改称されていると山梨県神社庁のホームページに書かれていました。大滝湧水は、三分一湧水(さんぶいちゆうすい)、女取湧水(めとりゆうすい)とともに環境省の名水百選に選定された「八ヶ岳南麓高原湧水群」のひとつで小淵沢高原の大滝神社境内に湧くのが大滝湧水(大滝神社)。日量2万2000tで、真夏でも水温は12~13...
今日は、朝から大雨でどこにも出かけられません。そこで、5月に撮った写真の整理をし一日を過ごすことにしました。そんな中に、清里の清泉寮の写真がありました、清里といえば清泉寮でソフトクリームを食べるのが訪問者の常なっています。確かに、最高の環境の中に建てられた清泉寮ですので誰もが一度は訪問したい、その気持もわかります。清泉寮は、今では、標高1380メートルにある宿泊研修施設です。建設当初の1938年は、清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュ(Paul Rusch)が指導したKEEP(Kiyosato Educational Experiment...